鉄道ライター・都市交通史研究家の枝久保達也がどんな人か、どんな仕事をしているかを紹介するプロフィールサイトです。



タイムライン


年表

1982年
埼玉県大宮市に生まれる

「鉄道のまち 大宮」にて上越新幹線より早く、東北新幹線より遅く生まれる。祖父母は農家、父は公務員。「枝久保」は日本に200人程度しかいない珍しい名字である。

大宮の外れ(現在の見沼区)は車文化圏なので、幼少期は鉄道に乗った記憶がほとんどない。自然とクルマに興味が向き、運転免許を取得できる日を指折り数えていた。箱型で決まった道しか走れない電車に憧れることは全くなかった。今も趣味はクルマ、仕事は鉄道だと思っている。

2002年
大宮駅でテンポラリースタッフ(駅員バイト)を始める

中学・高校時代は航空機、艦船に興味を抱き、先輩の手引きで鉄道にも多少の興味を持つようになったが、嫌いではない程度のものだった。大学生になり、いくつかのアルバイトを始めるが、大宮駅で駅員バイト募集の張り紙を見かける。当時、JR東日本が制服を刷新したばかりでカッコよかったこと、時給が高かったこと、登校前の早朝に働けることから、深く考えずに応募し、採用される。

2006年
東京地下鉄株式会社(東京メトロ)に入社

駅員バイトの3年間で「仕事としての鉄道」に興味を抱く。一般的な駅員バイトはラッシュ時の「ケツ押し」が中心だが、押し込むほど混雑しない大宮駅では、折り返し列車の貫通、旅客案内など駅員の補助業務が多かった。採用時15人程度だったバイトは、3年間で40人以上まで増員し、3つの班を束ねる「統括班長」に任命される。

そのままJR東日本の現業職に進む友人も多かったが、鉄道が人々の生活の基礎となり、都市圏を作り上げる「システム」そのものへの関心が強かったため総合職に応募した。しかしJR東日本の試験はあっさり落ちる。鉄道会社では同社以外に唯一応募していた東京メトロに拾ってもらい、ほとんど使ったことがなかった地下鉄の会社に入る。ちなみに自動車メーカーもいくつか受けたが、選考を受ければ受けるほどクルマは趣味であり、仕事ではないと感じた。

2008年
副都心線開業でてんやわんや

3か月という短い研修後、広報部に配属される。いろいろあって1年目から報道担当となる。当時、最大のミッションは地下鉄13号線(副都心線)の開業対応。3年目となる開業年度の2008年は、なぜか報道担当の最先任となっており、対応の中心を担った。会社の動きを概観できたこと、マスコミの作法を学べたことは現在の仕事に大きく貢献している。

ご褒美(?)として開業前夜に放送された「タモリ倶楽部」の案内役を任せてもらう。ところが開業してみると毎日のように遅延が発生し、開業翌日から3日間帰れなかった。下手に顔出ししたものだから「テレビに出て浮かれてるからだ」と言われるのではないかと戦々恐々とした。酸いも甘いも味わった1年間だった。

2009年
営業部営業推進課に異動

旅客誘致、増収施策を担う営業部営業推進課に異動する。管理担当兼便利屋だったので、イベント実施や企画券開発を直接担当することはなかったが、実験的なイベントをいくつか手掛けた。

そのひとつがゲーム開発会社「コロプラ」とタイアップした「東京再発見!食べつくし位置ゲーの旅」。一日乗車券の券面にスクラッチのシリアルナンバーを印字し、それをゲーム内で入力するとランダムでアイテムが取得できる「ガチャ商法」。めちゃくちゃ売れたが、良心は傷んだ。

2012年
お客様サービス課に異動

いろいろあって精神を病む。気が付いたら、お客様センターの統括、ご意見を反映したサービス改善などを担当するお客様サービス課にいた。徐々に意識が戻ってきたので、仕事を再開する。

2004年のお客様センター開設以来、約20万件のご意見・ご要望のデータベースがぐちゃぐちゃだったので、全部読み返して再整備する。データベースへの入力システムを導入し、業務の効率化を実現。

顧客満足度調査も統計的に問題があり、回答者の負荷も過大な設計だったので、全部作り直す。2013年に「お客様モニター」制度を新設することになり、設計全般を担当する。

コミュニケーション業務も担当した。初めて利用する人から日常的に利用する人まで、安心して利用してもらうためガイドブック「メトロのトリセツ」を2014年に作成。好評で20万部以上配布。第10回日本モビリティ・マネジメント会議(JCOMM)でも発表する機会を得た。

サービス改善の取り組みを路線ごとにPRする「あしたのメトロ」を発行。こちらも好評で毎号10万部を配布。全路線発行する前に辞めたので、確か南北線と半蔵門線は出ていないはず。

テレビや新聞に登場する際は、分かりやすさから「元広報」の肩書きがつくが、基礎の多くはお客様サービス課時代のインプット、アウトプットにあると思っている。特に利用者の意識、評価の把握、それをサービスに反映する難しさなど鉄道会社のリアルを体感したのは大きかった。

2017年
東京メトロを退職

在籍11年でさまざまな仕事を経験させてもらったが、やはり「会社人」として生きていくのは無理があった。入社時から定年までいることはないだろうと思っていたが、35歳になるのを機に辞めることにした。特に宛があったわけではないが、何かモノを書いたり、発信したりすることくらいしかスキルはなかった。

とりあえずブラブラする。東京地下鉄道の子会社だった幻の私鉄「城東電気軌道」について、在職中から気になっていたので調べて本にしてみた。書籍・ウェブ含めてほとんど情報のない会社なので、同人誌界隈が震撼した。本書制作を通じて国会図書館や公文書館の使い方、文章の書き方を思い出した。

2018年
鉄道ライター・都市交通史研究家として活動開始

モノを書いて生きていくしかあるまい、と思った。幸いすぐに、乗りものニュース、ダイヤモンドオンラインから声をかけていただき、ライター業を開始した。自慢ではないが創業以来、おたくの媒体に書かせてくれと、こちらから営業をしたことは一度もない。全て依頼を受けて始めたものだ。これからもおもねらないスタイルで書いていきたい。

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